テレジン収容所
1941年、ナチス・ドイツが、占領下においたチェコスロバキア(当時)の首都・プラハから北へ60キロほど離れた小さな街・テレジンに作った収容所。当時はTheresienstadt(テレジェンシュタット)とドイツ語で呼ばれ、アウシュヴィッツへの中継地という役割を果たし「地獄の控え室」と呼ばれていました。14万4000人のユダヤ人が収容され、その四分の一に近い3万3000人がこの町で、飢えと病気と悲惨な生活のため死亡し、8万8000人がアウシュヴィッツをはじめとする絶滅収容所へ送られました。また、テレジンには1万5000人もの子どもたちが収容されていました